今朝の散歩道は
視界20mほどの霧に包まれていました
昇ったばかりの太陽もきっと戸惑ったことでしょう
五里霧中と言います
きっと五里四方をすっぽりと包み込むような深い霧の譬えでしょう
五里と言えばおよそ20キロですから
これはもう行けども明けぬいささか不安になるような霧ですね
と思えば
『夜霧よ今夜もありがとう』なんて歌もありました
恋人たちを包み込んでくれるような優しい霧
しかし
「霧」は俳句季語では「秋」に分類されています
では春の今頃の「霧」をどう表現すればいいのでしょうね
古塚に残る寒さや靄の濃し
行き交ひて振り向いて見る靄の道
朝もやの明けて野道に梅匂ふ
朝霧は秋の季語と言うので朝靄で逃げたというだけのことです
果たして霧と靄はどう違うのでしょう
靄には焚火の煙なども入るのでしょうか
それはスモッグの内でしょう(^^;
三省堂の新明解国語辞典によれば
「もや 靄(季節・場所を問わず)空気中に一面に水蒸気が立ちこめる状態で、霧より見通しのよいもの」
とあります
つまり「薄霧」とかですか?
かつては春の霧は「霞」と言ったようですが
春にも厚い「霧」の日があるってことですよ
思うに
「霧」を秋の季語に閉じ込めたのが間違いなのではありませんか
俳句の季語も実はどんどん増えているのだそうで
そうやって囲ってしまうと
遂には俳句などの短詩そのものが成り立たなくなるような気がしますね
無季語俳句というものもあるわけで
その方が合理的かと言えば
いや言葉に制限があるからこそ俳句があるとも言われるわけで
初心者の私どもは毎度これで悩まされますね
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