以前に渡良瀬遊水地をご案内しました。
ここは栃木県と埼玉県、群馬県、茨城県の県境にあたります。
ということは、この地を巡って戦国時代から様々な戦いがあったのでしょうね(^^;
そのハート形の湖水の東側に野木という町があります。
地図に文字入れしておきましたのでご覧ください。
この町にホフマン窯と呼ばれる煉瓦焼成のための窯があるのですが、このほど一連の修復が終了して公開されることになったと言うので出かけてみました。
5月15日に報道関係者への披露があり、私が出かけたのはその翌日のことで、オープン記念で入館料無料ということでした。
と言っても、入館料は100円ですからオアイソ程度ですがね(^^)/
ドイツ人のフリードリヒ・ホフマンという人が発明して特許を取得したホフマン窯、
こんな形をしています。
案内してくれたのは「野木町煉瓦窯を愛する会」のボランティアの方、
赤いベストの方です。
来館者も多いので、15~16人ごとに区切って案内してくれます。
全員ヘルメット着用、学生時代を懐かしく思いだす人もいるんじゃないかね?
ボクはこんなの被らなかったなぁ(^^;
明治23年に完成したというこのホフマン窯は、
上から見ると16角形をしています。
展示の説明図を写してきました。
図の赤や黄色の四角い部分がそれぞれ窯になっていて、
それぞれが2部屋から出来ているので、
全体としては32の部屋があります。
それぞれの部屋に粘土を乾燥せた焼成前の煉瓦を積み上げ、
その内の1部屋に点火すると、
粗製煉瓦を搬入⇒粗製煉瓦を予熱する⇒燃焼室で焼成⇒冷却⇒冷えた煉瓦を搬出
の工程の順に次々に火が移って一周するようになっているようです。
1周におよそ23日かかり、
全室で220,000個の焼成が可能だったということです。
説明を聞く人たち
案内板のパネルに写っている
乾燥煉瓦を積み上げる
隙間を開けて積んでいることの説明
実際にはこの部屋の天井までびっしりと積まれた
燃料の粉炭をトロッコで運び
丸い蓋を開けて投入する
蓋を開けると
燃えている窯からはさかんに炎が立ちあがったことでしょう
焼成温度はおよそ1000℃でした
燃焼中の窯の炎と煙がこの煙突から排出される
粉炭はこのスロープから窯上へ人力で運ばれた
どこかの城の門のようです
崩れた跡は今次の大地震の爪痕を修復した部分
できるだけ古い煉瓦を使ったそうです
そうなんです
煙突が左傾していますね
これは大正の震災によるもののようです
こんなホフマン煉瓦焼成用輪窯が、
実はこの敷地内に2基並んでいたそうです。
現存しているのがこのうちの東窯で、
残念ながら、
西窯は大正の大震災で崩壊して現在はその煙突の一部が残っているだけ。
掘り出された煙突の一部
明治から昭和にかけて、
同じような構造の煉瓦窯は全国に50か所もあったそうです。
現在は、
京都府舞鶴市、滋賀県近江八幡市、埼玉県深谷市、そしてこの野木窯の4基だけ。
ほぼ完全な形で残っているのはここ野木町の東窯のみです。
この野木赤煉瓦製造は、
近代化産業遺産群33の内の一つに数えられています。
ちなみに一つの窯に配置された作業員は50人くらいと聞きましたが、
連続して燃え続ける窯にどのように関わったのでしょうね?
昼夜四交代としたら1チームは12名ほどでしょ。
ウーンてぇへんだぞ。